西大寺とともに

西大寺芝町1丁目は、「近鉄大和西大寺駅」南西に位置し、大阪・京都・吉野・伊勢・名古屋へつながる鉄道交通の要衝・結節点にあります。
また、幹線道路の第2阪奈道路に接続し、自動車交通の点からも利便性の高い地にあります。
町内には、奈良を代表する名所でもある西大寺が鎮座しています。東大寺は父君の聖武天皇が発願、西大寺は娘の称徳天皇(女帝で2度即位し孝謙天皇と呼称)勅願であり、西大寺芝町1丁目は西大寺の境内に包含されたエリアでもあります。
南都七大寺のひとつにして真言律宗総本山の寺院「西大寺」とともに歩んできた伝統・歴史・文化に富む地域で、さまざまな生活行事が西大寺に起因しています。
薬師堂は芝垣内の集会所としても使われていますが明治16年(1883年)に西大寺から譲られ移築されたもので、築150年とも、200年ともいわれる古い建築物です。
旧村落の芝村で享保17年(1732年)12月18日に大火災が発生し、その教訓として芝垣内内を防火・安全を祈願する灯籠が巡回しています。
西大寺保育園の主棟はかって奈良県生駒郡伏見町役場でした。
そんな歴史ある西大寺とともに、芝町は歩んできました。
町内とその周辺の主なスポット



西大寺
真言律宗総本山の寺院。山号は勝宝山。南都七大寺のひとつ。本尊は釈迦如来。天平宝字8年(764年)、称徳天皇が鎮護国家のために四天王像の造立を発願したことにはじまり、翌年建立。創建当時は、東・西に高さ約45mの五重塔と百余の堂宇を数える壮大な伽藍を誇り、東の大寺・東大寺を父の聖武天皇が建立し、西の大寺・西大寺をその娘である称徳天皇が勅願したことから、東西で並び称されました。
平安時代、再三の火災で諸堂のほとんどが焼失しましたが、鎌倉時代に入り西大寺中興の祖とされる叡尊上人(興正菩薩叡尊上人)の造寺・造仏の尽力により、密・律双修の真言律の根本道場として生まれ変わりました。
このように、古代寺院と中世寺院の伝統を持つ西大寺は、1250年以上に及ぶ悠久の歴史と伝統を今に伝える、古都・奈良を代表する寺院です。
境内は国史跡に指定され、叡尊上人の御手植えや菩提樹が残されているほか、国宝である金光明最勝王経や大毘盧舎那成仏神変加持経などの奈良朝写経は、創建当時の威容を今に伝えています。
また、国宝の叡尊座像、本尊の釈迦如来立像、中黒秘仏愛染明王坐像、興正菩薩坐像、重要文化財の文殊菩薩騎獅像と四侍者像のほか、塔本四仏坐像、吉祥天立像、十一面観音立像などの仏像、国宝の十二天画像などの仏画・肖像画、金銅宝塔、鉄宝塔、金銅透彫舎利塔など舎利塔や密教法具などの寺宝を多数所有し、今も参詣する人が絶えない大寺です。
→ 勝宝山 西大寺

西大寺薬師堂
堂正面左右に石仏があり、右は観音像、左は十一面観音石仏で、ともに江戸時代のもの。堂内に鎮座する御本尊の薬師如来は寄木造・漆箔の座像で高さ67cm、室町時代のものとされています。左脇壇には愛宕社を、右脇壇には八幡さまを祀っています。
毎年、芝垣内の年行司4人が代表して愛宕神社に参詣し、護符を受けて帰り、これを各家に配る「愛宕山詣り」のしきたりが残っています。堂宇は西大寺から移譲され、明治16年(1883年)に移築されたものとされており、現在は芝垣内の集会所として使用されています。
近鉄「大和西大寺駅」
近鉄奈良線と近鉄京都線、橿原線が乗り入れており、大阪難波駅、近鉄奈良駅、近鉄京都駅と各市の中心市街地に一直線で行ける、東西南北の4方向に近鉄の路線が伸びる、奈良の一台ジャンクションです。観光特急「しまかぜ」を含むすべての列車が停まります。
平成21年(2009年)より、橋上コンコースが拡張され、スーパーマーケット、ベーカリーカフェ、ドラッグストアなど、「スイーツ」「惣菜」「奈良」がコンセプトの店からなる駅構内ショッピングモール「Time’s Place Saidaiji」が開業し、同時に展望デッキも設置されています。
令和3年(2021年)には、南口の駅前広場が完成しました。


西大寺八幡神社

令和3年に僧侶参拝が実現。
西大寺八幡神社
西大寺の西方に鎮座する西大寺八幡神社は、国の重要文化財に指定されています。境内には拝殿が存在しないことから、大きな本殿の全体像がよく見わたせるという、全国でも珍しい空間となっています。
参道には2つの鳥居があり、特に二の鳥居は、新池からの小川をまたぐ花崗岩の一体造石橋とともに、西大寺八幡神社で最も古い建造物とされています。
鎌倉時代の延応元年(1239年)1月16日、西大寺・中興の祖である叡尊上人(興正菩薩叡尊上人)が、参詣された人々に社頭で湯茶の大振る舞いをおこなったのが、今日の西大寺に伝わる大茶盛の起源といわれています。(令和3年1月15日、大茶盛の由来となった献茶式が、約150年ぶりに松村隆譽長老によっておこなわれ、古来のかたちを復活させることで、ともに味わい心を一つにする「一味和合」の精神を伝えました)
また、享保17年(1732年)12月18日の夜に芝村で大火災が発生し、神社に古くから伝わる能面が焼失した際には、西大寺より宝蔵にあった能面3面を譲り受けるなど、西大寺とのつながりは強く、明治期に神仏分離が図られるまでは西大寺の鎮守社としての機能を有し、その創建は西大寺の創建期と同じく奈良時代にまで遡るとされています。
現在は、氏子で組織された左座(あんざ)と右座(おうざ)の大人・中座が中心となって氏子神主を交代で担い、氏子を挙げて愛宕山詣りや灯籠巡回などの年中行事や祭祀の運営、清掃管理など、鎮守の文化を絶やすことなく、継承に取り組んでいます。
→ 西大寺八幡神社
西大寺保育園
宗教法人西大寺が運営する保育園です。園舎は古く〜。


十五所神社
十五所神社(じゅうごしょじんじゃ)は、近鉄大和西大寺駅の北西側にあり、名前の通り非常に多数の祭神を祀る神社で、西大寺の鎮守神として近隣にあった小さな神社をまとめたものと言われています。芝町1にはたくさんの氏子がいます。
現在は社殿と2つの末社を留めるのみですが、かつては多数の社殿が並んでいたともされています。
菅原天満宮
菅原道真公とその祖先をまつる日本最古の天満宮。菅原家発祥の地、菅原道真公生誕の地と言われ、道真公の神徳にあやかり、試験合格・学徳向上の祈願や文筆にいそしむ人々に厚く信仰されています。境内には筆塚があり、毎年春分の日には奈良筆まつりと筆供養が行われます。 また、梅の時期には毎年「盆梅展」が行われ、丹精込めて育てられた古木や巨木、希少品種の黄金梅等からふくよかな梅の香りが漂います。
→ 菅原天満宮


平城宮史跡
平城京は、今から1300年ほど前に、現在の奈良市につくられた都です。平城京を中心に、律令国家としてのしくみが完成し、天平文化が花開きました。平城京を中心とした74年間は、奈良時代と呼ばれています。
→ 国営平城宮跡歴史公園
喜光寺
奈良時代の高僧、行基菩薩が養老5年(721)に創建。東大寺大仏建立のための布教活動の拠点とした寺です。また、行基菩薩はこの寺で入滅したと言われています。本堂は、東大寺造営の際の大仏殿の雛型として建てられたとの伝承から「試みの大仏殿」と呼ばれています。
蓮の名所として知られ、6月中旬~8月中旬には250鉢の蓮が境内を華やかに彩ります。
→ 喜光寺
